20代にして年収6000万円!から奈落の底へと転げ落ちたあの2000年【斉藤啓】
どーしたって装丁GUY 第1回
■25年後、現在
あ、前フリが長すぎですいません。
我が実録デザイナー転落物語を書き記しているうち興が乗ってきたor何らかの拒否反応なのか脳がISDN状態に陥り(ピーピュルルルr)妙なテンションでついつい筆が止められませんでした…。ここらで一旦自己紹介をせねばです。そう、これを書いてる今はもちろん令和7年(2025年)5月ですからね!
こほん、とゆうわけでみなさんはじめまして!
装丁家、名は斉藤啓と申します。縁あってここBEST T!MESの片隅にてコラム連載をスタートすることになりました。みなさんどうぞよろしくお願いします。それでは取り急ぎさっそく喫緊にまずはこのコラムのタイトルにもある「装丁家」とゆう職業について説明をさせていただきますそもそも装丁とゆうのは広辞苑によると…、
え?
装丁の話はもう次回でいいから、前フリの続きをおもしろおかしく書いて今回は締めてください、ですって?
すいません、たったいま編集の竹林さんから上記の指導が入りました。デザインは本業なんでアレなんですがこうゆう文筆業は不慣れなもので…重ね重ねなんかすいません。
それでは言われるがままおもしろおかしく続きを書いてみることに。
気を取り直して地下駐車場に駆け降り、ポルシェのハンドルを握ったぼくは虎ノ門にむけて後輪から白煙を上げながらのドリフト走行。JT本社のロビーにすべりこんだぼくを待ち構えていたのはニヤニヤ顔の博報堂弘中くんとJTの実務担当者さんと、隣にはなぜか…腕に旭日旗の腕章をしたおじさん…誰?
3人「その焦り様は、さては斉藤さん朝刊よみましたね?、あれは新聞に誤情報流してウソをかかせたドッキリだよーん」
ぼく「ということはろくせん…いや広告出稿を縮小するってのはウソだったんですね?なーんだ意地が悪いなあ3人とも」
新聞記者「見事にひっかかりやがったな?このJT成金が!輪転機を動かしたぶんは旦那にツケときますぜ」
ぼく「そりゃないっすよ、あははは」
みんなで「あははははははははははっはははははあはあははろろくせんははははあっははは」
なんて都合いいIFルートあるかーい!
正規ルートは話すも無惨すぎで、脳機能がISDN状態に再シャットダウンしそうなのでかいつまんで書きますと、
その年から収入は順調に半減、また半減。前年の税金を支払い終えたらもうスッカラカン、運転資金としてさらに莫大な借金を…と負債の雪ダルマに。つらい離婚も経験して、ボッチがニッチもサッチもいかない状態へまっさかさま。
本当の自分は運も才能もないカラッポ人間で、成功はたまたまのマグレ当たり。調子乗りすぎてバチが当たったんだ。その時はそんな風に思ってました。その時だけは、ね。